18世紀(1700年代)は、錬金術師(化学者)たちが「空気」に関する新発見を次々と成し遂げた、化学史にとって革命的な時代となりました。
例えば、たった20年のうちに、
などが発見され、20世紀初頭にはその知識を活用し、アンモニアで人類を救うこともできました。気体の化学は、社会に大きな発展をもたらしています。

それぞれの気体に、それぞれの面白いエピソードがあり、化学を学ぶことにワクワクさせてくれます。しかし一方で、悲しいエピソードを持つ気体もあります。
それが、今回に学ぶ『塩素』です。
👩🔬 シェーレが発見した、有毒な黄緑色の気体
酸素や窒素の発見に関わったスウェーデンのシェーレは、「自分が酸素の発見者だ!」などと威張ったりせずに、コツコツと研究を続ける控えめな人でしたよね。
(酸素の発見者の称号は、プリーストリに譲っています)

彼はその才能により、もう一つの新気体を発見しています。ある日彼は働いている薬局で、二酸化マンガンと塩酸を混ぜ、それを熱して遊んでいました。

すると、黄緑色でキツイ刺激臭のする気体を取り出すことができました。これが、シェーレが発見した気体塩素です。

https://woelen.homescience.net/science/chem/elem/elements/Cl/index.html
無色透明な二酸化炭素などとは違い、気体が黄緑色であることからも、少し特別な気体であることが分かります。金属を溶かす塩酸から出てくる気体ですから、強力な毒性があります。
刺激臭が強く、瓶の中に動物を入れればすぐに死にますし、人間が吸ってしまえば喉や肺もやられ、高確率で中毒死します。
また、この黄緑色の塩素は、空気よりもとても密度が大きく、重いことが分かりました。空気の約2.5倍も重いのです。

酸素は、「二酸化マンガン」と「うすい過酸化水素水(オキシドール)」を反応させて作り出すことができました。
「うすい過酸化水素水(オキシドール)」を「塩酸」に変えるだけで、生物を簡単に殺す気体、塩素が発生するのです。

😷 第一次世界大戦と化学兵器『毒ガス』
シェーレが亡くなって100年以上が経つ1914年に、ヨーロッパで第一次世界大戦が始まります。この頃には戦争の高度化が進み、
- 戦車
- 機関銃
- 潜水機
など、敵をたくさん殺すため、科学技術を活用した兵器や機械がたくさん利用されるようになりました。

もう一つ、第一次世界大戦で始めて大規模に利用された兵器があります。それは毒ガス。気体は、風に乗って空気中に漂います。毒性のある気体を敵軍へ放出してしまえば、多くの人々はそれを空気と一緒に呼吸し、苦しみながら死んでいきます。毒ガスを使えば、簡単に大量殺人ができるのです。
毒ガス【塩素】を使って大量殺人
生物を苦しめて殺し、工場で大量に生産できる毒ガスといえば、1774年にシェーレが発見した塩素です。空気中に大量の塩素をばら撒けば、人間は簡単に死にます。
錬金術、いわゆる化学の力を使った兵器なので、毒ガスは化学兵器と呼ばれます。塩素を毒ガスとして化学兵器にすることを決めたのは、塩素を大量に保有していたドイツでした。

塩素による毒ガスはとても強力でした。1915年4月に、ドイツ軍は世界で初めて、大規模に毒ガスを攻撃に利用します。
その結果、ドイツ軍は数分のうちに5000人の敵兵士を殺害できたといいます。
最低でも敵の目をつぶせますし、助かった兵士も後遺症でそれ以上戦うことができなくなる、化学兵器としてはとても優秀な気体です。
「化学兵器の父」ハーバー
ドイツが第一次世界大戦に勝利するため、毒ガスの開発者として任命した人物は、なんと空気からパンを作って人類を救った化学者、フリッツ・ハーバーでした。

ハーバーは早くから、
- 人間を殺すほど強力な毒性
- 空気より密度が遥かに高く、下へ溜まる
といった、塩素の毒ガスとしての適正を見抜いていました。塩素はとても密度が大きいため、上空に逃げずに人間のいる地表に長く溜まり、穴に逃げ込んでも、ガスはどこまでも追いかけてきます。
彼は「刺激臭があり、黄緑色をしている」といった敵に気づかれやすい塩素の欠点も、ボンベに大量に隠しておいて風上になった瞬間に一気に放出する方法により克服しました。

『エピソード科学史〈1〉化学編 (1971年) (現代教養文庫)』
1915年4月、ついにドイツは大規模な塩素ガス作戦を決行します。その結果、なんと一瞬のうちにイギリス軍5000人を殺害するほどの成果を収めてしまいました。ハーバーは、ドイツが最も大切にする化学者となりました。
対するフランスなどの国は、ガスマスクを使う他、塩素を無毒化する化学成分を使い、塩素ガスに対抗しました。
また、報復として毒ガス攻撃をやり返しています。

それにまた対抗する形で、ハーバーは新たな毒ガスを次々に作り出し、戦場に送り続けます。この頃にハーバーたちが行った毒ガス研究は、第一次世界大戦だけでなく、この後の世界中の戦争で利用されるようになってしまいました。
その結果、ハーバーは「化学兵器の父」と呼ばれるようになっています。
同じドイツ出身の物理学者アインシュタインも、ハーバーに「君は天才的な頭脳を、間違った目的に使っている」と言いました。

自殺により、ハーバーに抗議したクララ
ハーバーには、同じ化学者である妻がいました。クララ・イマーヴァールです。彼女は、夫であるハーバーの毒ガス開発に強く反対していました。
「あなたは科学をねじ曲げている!」といって強く非難します。

しかしハーバーは、「強力な毒ガスの開発が進めば、戦争を早く終わらせることができる!」という強い信念を持っており、クララの願いが届くことはありませんでした。(実際は、毒ガスの応戦のせいで戦争は逆に長引き、たくさんの死者を出すことになりました。)
その結果、第一次世界大戦中の1915年、クララは自宅でピストルで胸を撃ち、自殺してしまいました。ハーバーが毒ガスを開発していたことが、自殺の大きな原因であると言われています。
ハーバーのノーベル賞受賞
クララの自殺後も、めげずに毒ガス研究を続けたハーバーでしたが、ドイツは第一次世界大戦で敗北してしまいます。
当然、敗戦国のドイツで毒ガス開発を指揮したハーバーは、戦勝国から強い非難を浴びることになります。
しかし!窒素からアンモニアを作るハーバー・ボッシュ法の実績が認められ、彼はノーベル賞を受賞することになります。第一次世界大戦が終了した、1919年のことです。
左上が、ノーベル賞授賞式でのハーバーです。
ハーバーは、
- 空気中の窒素からアンモニア肥料を作り出し、世界中の人を飢餓から救った化学者
- 塩素を中心とした毒ガスを開発し、おそろしい化学兵器を作った化学者
という2つの顔を持つことになりました。
『アンモニア』と『塩素』という2つの気体に深く関わり、喜びと悲しみの両方経験した化学者だったのです。
🥼 塩素の殺菌・漂白効果
シェーレが発見し、ハーバーが毒ガスとして応用した塩素ですが、もちろん人々の役にも立っています。
塩素の殺菌効果
塩素はとても強力な毒性を持っているので、殺菌作用に優れています。
身の回りでは、水道やプールの消毒のためによく使われています。塩素系消毒剤ですね。

水道やプールなど水の中には、見えない病原菌がたくさん潜んでいます。そのままでは食中毒など、深刻な影響を及ぼす場合があります。
だからこそ、強力な殺菌作用のある塩素がとても役に立ちます。
塩素の漂泊効果
また、強力な塩素はあらゆる物の色を落とす漂泊効果があります。
その特性を活かして、たくさんの塩素系漂白剤が販売されています。

まな板やシンク、風呂場の掃除に使ったり、洗濯に使います。強い漂泊作用があるので、色付きの服を洗うと色が落ちてしまうこともあります。
📚 おすすめ参考書籍
📖 参考になった書籍
・エピソード科学史〈1〉化学編 (1971年) (現代教養文庫)
科学者たちの努力、苦難、裏話を興味深く、しかも読みやすくまとめた本といえば、『エピソード科学史』シリーズの右に出る者はいないでしょう。
ハーバーに関しては、
- アンモニアによる窒素固定成功
- 塩素ガス開発
- ドイツ追放
など彼の死までのドラマがしっかり描かれています。
📱 参考になったページ
・「100年前の化学兵器」と戦い続ける町 ドイツ軍が始めて塩素ガスを利用し、イギリス軍5000人を葬ったイープルの町では、今もその影響が続いています。化学兵器の利用は制限されるべきでしょう。
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